6-dim+ Special Contents “interview”

6時限+ はなしの時間 hanashi no jikan

#004 舞台照明デザイナー 山口明子さん

2:始まりはRCサクセション
はなしの時間#004|対談する山口明子さんとカタヨセヒロシ

あっこさん、照明の世界へ

あっこさん
高校時代に、友人の複雑な家庭を見て、「私が何とかしたい、救いたい」って。それで、社会福祉の大学に行って養護施設の職員になろうと思ったんですよ。
ヒロシ・篤史
へえ〜。
あっこさん
まっ!結局ね、大学に行って「人を救える・救う」って、自分のことをなんておこがましい人間だったんだろうって思って、そっちに行くことをやめて、今ここにいるんですけど。
ヒロシ・篤史
うん、うん。
あっこさん
すごい思い込みから、違うところに行く、っていうことを繰り返しているかもしれない(笑)
一同
(笑)
ヒロシ
いや…素敵な話です。って思ちゃいました(笑)
あっこさん
いつもそう!照明始めた時もそうでした。
ヒロシ
あっ!そうそう!どのタイミングで照明に関わるんですか?
あっこさん
で、大学1・2年の頃は、福祉の方に進もうとかな〜って思っていました。でも3年生の時に、ゼミナールを選ばなきゃいけないって時に、やっぱり私の福祉に対する考え方が間違っていると思い始め。人が立ち直るために、助けることは多少は出来るけれども、結局はその人自身が気付くことが一番大切なことだと。それを、救ってあげられるって思っていたのは奢った考え方だと思ったんです(笑)
ヒロシ
なんでそこで笑うんですか!(笑)
あっこさん
(笑)自分が恥ずかしいの!そんなこと思っていたことが!
ヒロシ
いい話ですけどねえ(笑)
あっこさん
そしてゼミナールを、日本文化論というゼミナールに入り、私はそこから旅をし始めるんです。
篤史
へえー!
ヒロシ
旅!?
あっこさん
はい!あっ、でもそんなお金もなかったから自転車で。沖縄に行って沖縄を走ったりし始めるんですけど。そんなことをしているうちに、就職の時期にきたわけです。何しよう?就職活動する気全くなし!
ヒロシ
あー。ないんですねえ。
あっこさん
それで、毎日毎日どうしよう、どうしよう、と思っているうちに。その頃大好きだったRCサクセションの、清志郎さんね!
ヒロシ・篤史
はい。
あっこさん
ファンクラブに入っていたんです。それは追っかけでもなんでもなく、チケットを取る為に。
ヒロシ・篤史
うん、うん。
RCサクセション CD「ゴールデン☆ベスト」ジャケット写真

RCサクセション
日本のロックバンド。忌野清志郎をリーダーとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。
Wikipediaより抜粋

あっこさん
で、2ヶ月に1回ぐらいファンペーパーが届くんですよ。そこにね、RCサクセションの照明さんの記事が載っていたんですよ。
篤史
えー!!
あっこさん
森平猛さんっていう、一時代を築いた先輩なんですけど。
ヒロシ・篤史
へえー。
あっこさん
その人のその記事を読み「ここだっーーー!」って思ったの!(笑)
篤史
へえー!!
ヒロシ
すごい!私が生きる世界はここだと!
あっこさん
ここだと!
ヒロシ
はあ〜!
あっこさん
それで、その当時はホームページもないので、ファンクラブに直接電話をして「森平さんっていう人のいる照明会社の電話番号教えてください」って聞いたの。そうしたら「知りません」っと。
ヒロシ
えっ!
あっこさん
でも「多分、代々木にあると思いますよ」って言われたの。
ヒロシ
知ってるけど言えなかったんでしょうね。
あっこさん
いや、多分本当に知らなかったと思いますよ。
ヒロシ・篤史
へえー!
あっこさん
そいで、104・・106だっけ。104だよね?
ヒロシ
はい、104。
篤史
はい、ありますよね。
あっこさん
それで聞いたら、代々木にあったので、間違っているかもしれないけど電話したんですよ。
篤史
おー!!すごい!
あっこさん
そしたら「会社説明会やっている時期ですけど、どちらさん?」みたいな感じで言われ、あの…入りたいんです…って言ったら、「じゃ、来てみますか」って言われて。当時は名古屋に住んでたから、それで東京へ行って説明会受けて。「そしたら入社試験がありますので」って言われて、またそれを受けに行ったら、しっかり落とされまして。
ヒロシ・篤史
えーーーー!!(驚)
あっこさん
落とされた瞬間、どうしても行きたくなっちゃって(笑)
ヒロシ
火が点きましたね(笑)
あっこさん
(笑)そう、火が点いた!それで、説明会の時にいただいた資料に全国組織であること、名古屋に支社があるのが分かって、そこに「落とされました」って電話をして。
ヒロシ
え?すごい正直ですね!
あっこさん
うん。で「バイトさせてください!」って。
ヒロシ
すげえ。
あっこさん
キツイよって一言いわれて。お金も出ないよって。
ヒロシ
え?
あっこさん
お金ほとんど出なくて、1日5,000円。行き帰りの交通費も出ない。交通費は行き帰りでだいたい1,500円くらいかな。朝から9時から10時くらいまで働いて1日3,500円。
篤史
すげ〜。
あっこさん
それで働き始めたのが、えーっと大学3年生の9月から。初めて行った現場は渡辺真知子さんでした!(笑)
ヒロシ・篤史
お〜!
あっこさん
小さなホールで、SS(舞台横の照明機材)の色変えをしたのを、今でもまだ覚えてる(笑)それから一ヶ月に1、2回行ってたら、向こうから「お前入るか」って言われて。
ヒロシ
えー!なにそれ!!
篤史
すごい!
あっこさん
え?って思って。冗談なのかなって思った。
ヒロシ
ですよね。ですよねっていうのも変ですけど、そうですよね。だって落とされたし、バイトだよって言われて。そしたら?どうしたんですか?
あっこさん
本当ですか!?って言って。でも、今から卒論書かなきゃならないから、二ヶ月くらい来れないんですって言ったら「分かった。じゃあ終わったら電話しろ」って言われて(笑)
ヒロシ
分かっちゃうんですね、向こうも。分かった、分かったと(笑)
あっこさん
それで、卒論終わって電話したんですよ。「本当に入れるんですか?」って聞いたら、「当たり前やないか」って。関西人だったから(笑)
ヒロシ
卒論終わったのかと。
あっこさん
そうそう。で、4月1日入社式あるからなって言われて。
ヒロシ
すごい。
あっこさん
本当、キツネにつままれた感じで。その時1回しか着なかったスーツを買い、
ヒロシ
その時1回しか着てないんだ。
あっこさん
うん。東京まで行きました。
篤史
えー、すごい!
あっこさん
そっからです。
ヒロシ
入社式は東京だったんですね(笑)
あっこさん
で、そっからですよ、怒涛の忙しさ。そして戦いが始まる(笑)
はなしの時間#004|対談する山口明子さんとカタヨセヒロシ
ヒロシ
すげー。大河ドラマみたい。
篤史
ドラマだ、ドラマ。
あっこさん
何ヶ月か先に入った同期が男性だったんですが、とにかく男社会だから、男の人は大きなツアーにガンガン出されるんですよ。
ヒロシ
そっか。
あっこさん
軒並みビッグネームアーティスト行って、羨ましかった。私はずーっと名古屋で。でもその中で、先輩たちにかわいがられて、色んな仕事をさせてもらったことが、すごく今に繋がっている。今は笑って言ってますけど、当時はどうしてもその同期に負けたくなかったんですね。もうガンガン仕事して何でもできるようになって、25歳の時に東京に行きたいと心に抱くようになるわけです。私、東京にでるぞ!と。
ヒロシ
仕事として飛躍したいんだと。
あっこさん
上司にそれを言ったんですよ。そしたら「分かった、でももうちょっと待て」って言われて。現実になったのは27歳。東京の本社に移転させてもらって始めたんですけど。気の利き方とか技術があったので作る段階の仕事につけられるんです。例えば、有名なアーティストのゲネプロ(最終リハーサル)が東京であるんだけど、それに私はいつも入ってた。で、ツアーを見送る側。いってらっしゃいって。
ヒロシ
あ、見送る側なんですね。
篤史
えー。
あっこさん
そう。連れてってもらえないんですよ。ツアーに行きたかったのに。
ヒロシ
そっかあ。
あっこさん
それが1年くらい続いて。私はこんなことをするために東京に来たんじゃないって!
ヒロシ
すごい。「こんなこと」って言い出しちゃうんですね(笑)
あっこさん
(笑)先輩たちをひっ捕まえて食って掛かって。夜な夜な飲んで「私の人生どうしてくれるんですか!」って本当に言ったの(笑)
ヒロシ
酔っ払い(笑)まあでも、それだけ思いがあったってことですよね。
あっこさん
そうです。毎晩飲んでみんなに話をして。それで、1年半で辞めちゃうんです私。
ヒロシ・篤史
え?!辞めちゃうんですか!?
あっこさん
辞めちゃうんです。東京に来させてもらったのに。もうね、何か歯車の1個みたいな扱われ方はイヤだって言って、タンカ切って(笑)
ヒロシ
飛び出すわけですね。
あっこさん
飛び出すわけ(笑)
ヒロシ・篤史
すごーい。
あっこさん
それで行った先が、ミュージカルと芝居とダンスをやっている、前の会社に比べるとアットホームな会社でした。
ヒロシ
それじゃ、全然違うところですね。
あっこさん
やっぱり、いつも情熱的に入り込み、そこから「あれ?」って思って変化する自分がいます。でも、その気づけたことが良かったわけで。気づけたことで、今がある。
ヒロシ
今朝、ちあちゃんからメッセージをもらった時に話したことで、「あっこさんはね、アーティストなんだ」って。芸術家だって。照明家としての「家」も当然あるけど、それにとどまらない感じがするんだよねって話をしていて。いわゆる、お仕事的な照明をされる方もいると思うんだけど、そうじゃないところまでタッチしてくるっていうか、コミットしてきてくれるところが、ちあちゃんはすごく嬉しくて勉強になったって話をしていて。情熱がある人だって。
あっこさん
そうですね。人とやり合ってきたこと、人の中で切磋琢磨してきたのがそうさせたのかな。
ヒロシ
すごいですよねー。
あっこさん
あと、移った先の会社が面白いことをいっぱいやっていたんで。規模はちっちゃいけど問題提起をする作品を海外から招聘してたから、そこで出会った作品が「モノ作りってこうなんだ」ってことを教えてくれた気がします。
ヒロシ
そっか〜。

フランスで見たNOと言わない姿勢

あっこさん
今は、自分がやってきたこと、考えてきたことが「ウワーっ」と、点と点が繋がって、ドンと落ち込んできているって感じ。自分自身も面白いですよ。次の会社に移らなければフランスにも行ってないですしね。
ヒロシ
フランスは?
あっこさん
バレエです。その話してないか。あれ?
ヒロシ・篤史
聞いてないです。
あっこさん
あら。1999年に、初めて、ボルドー・オペラ座バレエ団ってところに自費研修で。
ヒロシ
自費研修。
あっこさん
自分でお金を出して行ったんです。でも、当時の会社の社長が「一ヶ月休んでもいいよ」って言ってくれたんです。その間の給料も出すって。
篤史
ほー、すごい!
あっこさん
3年に1回を4回繰り返しました。
ヒロシ・篤史
えー!
あっこさん
なぜそこに行けたかっていうと、当時の会社がやっていた「真夏の夜の夢 音楽祭」っていうのがあって、そこにボルドー・オペラ座バレエ団が来たんです。そこの照明の担当してるジャン・ピエールとステージマネージャーのミッシェルが夫婦なんですけど、私のことをすごく気に入ってくれて、打ち上げの時に「海外でのやり方を見てみたい」って言ったんです。そしたら、「じゃあおいで!家に泊まればいい。子供2人いるけど」って。「本当ですか!」って(笑)長い手紙を書いて、契約書も送られてきて、「あ、これ本当になるんだ」って行ったんです。
ヒロシ・篤史
えーすごーい!
あっこさん
あの時は「コッペリア」の稽古初日から公演の初日までの一ヶ月間、ボルドー・オペラ座のステージを使ってリハーサルをし、オペラ公演もあるので、公演がある時はボルドー・オペラ座バレエ団の違う部屋で、シャンデリアがあるような部屋でリハーサル。それをとにかく見るだけ。照明に手を出してはいけない。ただただ見るだけを一ヶ月。贅沢な話ですよ。
ヒロシ・篤史
すごーい!
あっこさん
それで、外国の人のやり方を見て、もうびっくりしたんですよ。規模と「NO」と言わないあの姿勢。
ヒロシ・篤史
へえ〜。
あっこさん
日本だと、私が知ってる限りでは、大道具さんや照明さんは「こんなの出来ないよ」って普通に現場の中で飛び交ってた言葉なんだけど、それがない。芸術監督が言ったことは絶対なんですよ。
ヒロシ
じゃあ、それをどうやるか?ってことになるわけですね。
あっこさん
例えば、ここに7メートル級のセットが立ってます。土台の角のところを「ダンサーが足を引っ掛けたら危ないから切れ」って言われると、次の日行ったらちゃんと切ってあるんですよ。「いつやったんだろう?」っていう仕事を眼前にすると、芸術ってこうやって生まれるんだって思うわけ。もちろん国から出されてる予算だし、貸し小屋じゃないから、時間も存分にあるので、そのシステムがない日本と比べられないけど。でも、それを見たことによって自分の意識は大きく変わる。「NO」と言っちゃいけない。やりたいと言われたことはどこまでもやってあげようって思うようになったんです。行かせてもらってよかったし、何回も「おいで」って言ってくれたジャンピエールとミッシェルには本当に感謝してるし。だから『LAND』で賞をもらった時はすぐに連絡しました。
ヒロシ
へえ〜。すごい素敵な。
あっこさん
うん。
橘ちあ作「LAND」の作品写真 橘ちあ 振付・演出「LAND」公演写真

やってあげたいという気持ち

ヒロシ
これ全然違うかもしれませんけど、高校時代の友人のことをどうにかしたいって思っていたという話があったじゃないですか?それと、7メートルのセットのここが危ないから切っとけよということを「NO」と言わないって話、気持ち的に通じると思ったんです。勿論、全てのことが出来るわけじゃないんですけど、出来ることがあるんだったらやれる範囲でやる。それって、経験が足りなかったらどうやっていいか分からないこともあると思うんですけど、経験が蓄積されてくると「こうしたらできるよ」っていのうがわかってきて、柔軟な対応が出来てくる。その根っこの思いは、結局繋がってるのかなぁって。
あっこさん
まぁ確かにね。通ずるものは…「やってあげたい!」なんです。結局。
ヒロシ
そうそうそう。
あっこさん
やってあげたいし、やりたいし、っていう気持ちが常にある人なんでしょうね。その気持ちが強いかな、私は。「これでいいでしょ?」は、ない。いっつも。
ヒロシ
ちあちゃんは、それを男性的なっていう表現をしているのかもしれないですね。その強さを。
あっこさん
うんうん。
ヒロシ
例えば、お芝居の中のとあるシーンで、そのシーンが表現する意味や役割があるじゃないですか。それを表現する繊細さっていうのは女性的って言えるのかなって思ったんです。視点や表現が細やかっていう意味合いで女性的なところもあるし、今おっしゃってた強さとか責任感とか、やってやるよ!みたいな切符の良さみたいなところを男性的って言ってるのかなぁと思ったんです。
あっこさん
難しいよねえ、男性的、女性的ってね。女性の方が男性的だったり、大胆だったりするしね。
篤史
そうですよね(笑)
あっこさん
そこ、なんとも言えないよね(笑)以前ちあちゃんが、違った表現をしていたことがあって。私の仕事は「ミクロであり、マクロですよね」って言ってたんですよ。緻密だけど、ものすごい大胆なことをしてると。それがすごく面白いって言ってたんです。そういうふうに「照明ってミクロでマクロである、それを操ってる明子さんが面白い」って言われて、その、男性的女性的っていうのがミクロとマクロという言葉に繋がってる気もするし。
ヒロシ
そうですね!
あっこさん
一般社会的な男性的、女性的とはまた違う意味かもしれない。
ヒロシ
うんうん、そうですね。
あっこさん
そういう男性的、女性的っていう言葉を使わないようにして話すと、ネチネチこねくり回さずに、時間でバスバスッと切る、体力的にバスバスッと切る。この「切る」作業ができるって、すごく大きなことだと思うんですよね。子供の夕食を作らなきゃいけなかったり、朝起こさなきゃいけなかったり、どんなに気になっていたことも、一旦やめられる勇気っていうか、そこから生まれるものをすごく大事にしている気がする。それは照明に表れてると思います。まぁ、今はそうなんですけど。
ヒロシ
うんうん。
あっこさん
昔はもっと違ったよ。例えば、芝居の演出であったんですけど。舞台上が晴れてます。で、一瞬のうちに雲が流れてきて曇りになるっていう舞台を表現してくれって。
篤史
ええ〜、すごい。
空の写真 空の写真 2017/05/11 カタヨセヒロシ撮影
あっこさん
で、その後にはザーッと雨が降るっていう設定で、それを照明で表現してくれって言われた時は、一日中、ずーっと外を見ていました。雲が流れていくその光の変化。窓の外だけ見ていてもわからないので、壁に当たる光とかもずーっと見続けて、それを表現しようと思ったこともあるし。窓から入ってくる光ってどうなってるのかなとか。なんで昼って感じるんだろうとか。そういう研究は、時間を忘れてやっていたような気がする。基本は外光。その外光をどう分析できてるか。
ヒロシ
すごい。
あっこさん
でもみんなやってきてることだと思います。ちゃんとした照明さんは。私なんかは美術大学出ているわけでもないし、専門学校出てるわけでもないので、飛び込みでしょ?芝居の明かりの作り方なんかは一切教わってないから、自分で研究するしかなかったんですよね。
ヒロシ
プリミティブな明かりって言ったら外光だよねっていうことになるんですよね。
あっこさん
芝居で、夕日があり、夜の茶の間のシーンがあり、夏の夜障子を開けたら垣根の葉っぱが光っていたり、それをどうやって表現するか?自分で見るしかないよね?(笑)
ヒロシ
そうですねって言っちゃうけど、そこに至るまでが大変なことですよね。
あっこさん
感覚的な光に対しては、日がな一日見た光を思い描きながら、ちょっと頭休ませて「そうだ!こうすればいいんだ!思い出した!」みたいなことを組み合わせていくんです。
ヒロシ・篤史
すごい。
あっこさん
自分の中ではアーティストっていうそんな感覚は全くなくて。
ヒロシ
そうですか?!
あっこさん
ないですよ。ただの照明屋さん。照明家って。
篤史
ただの職業っていうだけだったら、そこまで突き詰めないっていうか。人がやってるのを見て、それを真似する、ただの真似で終わるみたいな?そこには明子さんと違いがありますよね。
あっこさん
そうだね。
篤史
そんな風に外の光を見て、そこからなんとか盗んでやろうみたいな、そんな根気のいる仕事の仕方を普通はしないような気がしますよね。
あっこさん
でもそれは、怖かったんですよ。もし失敗した時とかに舞い上がらないためにどうするのか?っていうやり方が、そういうことだったんです。劇場に入ってからこの明かり違うよねって言われた時に、引き出しがなければ、もうお手上げなわけでしょ?フリーズしちゃうし。それをなくすために、日々、日々見て。ああ、じゃあこういう手法もあるかもしれないとか。小心者なんですよ。小心者であるっていうことを自分で自覚している。だから努力する。お手本がなければ、足で稼ぐしかないんですよね、そういう時って。
ヒロシ
アンテナの感度みたいなものもあるじゃないですか?心配だからっていう、心配のレベルが広い?
あっこさん
それはものすごく広いのかもね、私。ここまで心配なの?って人は思うかもしれない(笑)
一同
(笑)
あっこさん
私の中では普通なんだけど、他の演出家さんとかがびっくりすることがある。そこまで考えてたの?って。ここまでやる人あんまり見たことないとかって。私、照明の絵を描いちゃうんですよ。
ヒロシ
絵コンテみたいなことですか?
あっこさん
シーンごとの、絵コンテ。照明さんはそこまでしないんですよ。でもそうしないと自分の中で、そう、画角ですよね。画角の中の絵が決まらないから。仕込み図もかけないし。持っていき方もわからなくなり、全部のシーンが途切れ途切れになってしまう気がして。描くようにしてるんです。難しい現場になればなるほど、描くようにしているんです。やっぱりストーリーのあるものはそうやって作っていくかなぁと。ちあちゃんの時も書きましたよ、『LAND』は、全部。
ヒロシ
ああ、そうですか。
あっこさん
だから今度、ロクディムも今度どんな風に作るか?ねえ。

─続きます─

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