6-dim+ Special Contents “interview”

6時限+ はなしの時間 hanashi no jikan

#006 映画監督 伏原健之さん

2:雰囲気や塩梅、距離感

何気ない言葉や、なんとなく撮っていたものに意味が出てくる

僕たちは「即興芝居」を「コメディ」という表現でやっているんですけど、笑いを取ろうと思ってオモロイことを言おうとすると全然駄目で、「自分の当たり前」をやるっていうことをトレーニングするんです。
伏原さん
はい。
面白いことを言おうとすると、いわゆる「面白いと言われているもの」を考え出したりしてしまって、それは自分の中から産まれるものじゃないんです。それよりも「自分の当たり前」でいようと。そしたら、今の等身大の言葉や行動や感情から産まれるものが「自分の中」から出てくる。それが人それぞれで全く違ってとても興味深かったりするんです。僕たち皆それぞれが、当たり前に何気なくポロっと言ったことを「どこまでキャッチできるんだろう?」ってことをロクディムではやっていて。何気ない言葉にドラマがあるし、何気ない言葉をドラマにするし。ただその1つ1つを大事にすることが即興の醍醐味だなぁと思うんです。『人生フルーツ』に出ている修一さん英子さんの何気ない言葉のやりとりがとっても自然で、だから、ふたりの関係や歴史を感じられて。それが物語になっているのがすごいなぁって思ったんです。
伏原さん
水瓶のシーンを撮っている時は、極論を言うと「撮るものがない」ので、なんとなく、向こうに鳥がいるし夫婦にもみえるな、みたいな感じで撮るんですよ。自然が豊かだねーとかそういう感じで撮るんですけども、あれが軸になっていくんですよね。
そうですよね。なっていますよね。

「人生フルーツ」水瓶の写真©東海テレビ放送
庭にある大きな水瓶。水が溜まり鳥が集まり時間が流れる。それが二人の生活の象徴のように使われている。
©東海テレビ放送

伏原さん
その水瓶が割れるということがあって、割れるところを撮っている時は「あー、これ英子さんがいいコメント言ったな」とか、雑木林が切られている時は「あー、水瓶まで無くなっちゃうんだ」ということを感じて撮っている部分はあるんですけども。改めて編集で並べてみると、まずひとつは、そういう夫婦の潤いがある生活の象徴にもなりますし。で、この映画は、僕はちょっとファンタジーっぽくしたかったので、あのジブリみたいな感じにしたくて。
まさにそんな感じでしたね。
伏原さん
ああいうのをひとつ置いておくと世界観が出たりします。最後の最後にまた出てくるんですけど。
そうですね。
伏原さん
最後の最後に出てくるのは自分の発想ではなくて、プロデューサーが「あれ(水瓶)どうしたの?直ったの?」って言い出して「ああ、直しましたよ」って言ったら「じゃ、あれ最後に付けよう」っていう話で。
あーすごいっ。。
伏原さん
最後は改めて撮り直して、別途入れてるんですけども。撮影している時はあまり意味を感じずにやりつつ、編集の段階でちょっと物語になって、で、最後ちゃんと「括れる」っていうってのがありました。「良いおじさんとおばさん撮れたね。いい人見付けたね!」みたいなことはよく言われて、まぁ確かにそうだしこの映画の最大の魅力はおふたりなんですけども、あの、う〜んっと、なんていうんですかね。あの、それなりに演出をしているというか、演出がないときっと観れないだろうな、っていうのはあるんで。
そうですね。それがないと、本当にお二人がご飯食べているみたいなシーンがほとんどの話ですもんね。
伏原さん
はい。そうですね。

ドキュメンタリーと即興「共犯者になれる人間関係」とは?

それがちゃんと物語になっているってのがすごい。水瓶が割れたシーンで、英子さんの娘さんが不平を言ってるのに対して、英子さんが「そんなに悪いこと言わないでいいのよ」ってすごい悲しそうな顔で言ってるところとかすごい強烈に覚えていて。水瓶はすっごい覚えていますね。印象的でした。

伏原さん
自分がドキュメンタリーで演出している感覚っていうのが、自分なりにはあるんですけども。出ている人に「こういうこと言ってもらう・やってもらう」というよりも、「シュチュエーションだけ」なんとなく与えると、なんか本当ドラマみたいなことをおっしゃり出したりする時があって。そこが面白いって思う時はあります。そんなセリフ、自分では考えられないような言葉がシュッと出たりして。だからなんとなく、自分とカメラマンは「ここはこういうようなシュチュエーションだよ」っていうような感じでやってて。で、慣れてくると撮っているんだか、撮っていないんだか、完全な素ではないんだけどもなんかそのフレームの中でやってくれているっていう時があって。それが、あの、なんて言うんですかね。森達也監督は「相手との共犯関係になる」って言うんですけども、そういう時がたまにあるので、それはすごいなって思います。

森達也監督は日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ・ドキュメンタリー・ディレクター、ノンフィクション作家。明治大学特任教授[wikipediaより] 森達也オフィシャルウェブサイト : http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/

そうなんですよね。監督とお二人の関係や距離感を、僕たち観客が観ているのかなって思ったんですよ。
伏原さん
はい、はい。
でも、後々考えてビックリしたのは、そこにカメラがあって撮影しているはずの伏原さんたちと、お二人の距離をほとんど感じなかったってことなんです。「ここはこういう感じで見てください」っていう伏原さんの意図を全然感じずに、本当にお二人の暮らしを自然に見ているよう気がして。でもそこには間違いなく伏原さんやカメラマンさんがいるわけで。その距離感にいくまでの、伏原さんとお二人の関係のつくり方がすごいなぁ!って思ったんです。その人間関係がすごいなぁって。僕達がやっていることも人間関係で、「人」と「人」の間の話で。その間のおかしさであったりとか、全く違う人間がそれでも関わりあおうとしているってことを大事にしているところがあるんです。
伏原さんとお二人との関係の時で、気を使ったとか、気を付けたとかありますか?即興的なものかどうかわからないですけども、どういうアプローチだったんでしょうか?
伏原さん
撮影に関しては、相手に近づく方がいいっていう時期もあるんですけども。カメラってズームインも出来るので、遠く離れてても結構アップとかは撮れるんですけども、そうじゃなくて、カメラごと近い方がいいって思っていた時期も過去にはあるんですよ。
なるほど〜(笑)
伏原さん
今回はギリギリのラインまでの距離しか近づいかないようにしようと思っていて。ひとつは修一さん多分カメラが苦手ってことがあるのと、優しいように見えて、多分、激しい、硬い部分を持っていらっしゃる人なので、この境界線から図々しく入っていくとそれはちょっとダメじゃないっていう感じでした。相手の間合いに入ると「パーン」ってやられる感じが、本当にすごくあったんで、なるべく近づかずに、そのラインで撮りましょうと。撮影の物理的な距離感としてはそうです。
名古屋
そこにプラス、人間関係ってのが関わってくるということですよね?
伏原さん
人間関係は、さっきの「イベントを撮りに行く」って話じゃないですけども、我々は短時間で端的に分かりやすい言葉で相手の思っている言葉を引き出そうとするんですけど。多分、修一さんはなかなか複雑な人だなって思ったんで、あとは簡単に答えをくれないタイプだったので、とにかく向こうが喋ってくれるまで待とうって感覚だったんです。あまりこちらから「ああですか?」「こうですか?」っていうのを聞かないようにしてましたね。
待つという選択をしたというか。
伏原さん
そうですね。

目に見えない、言葉で説明できない面白さを伝えていく

名古屋
映画の中ではインタビュアーがいるようには全然観えなかったんです。それはカメラも含めてなんですけど、修一さん英子さんが何に対して喋っているのかな?って思うぐらい自然に喋っていて。
伏原さん
インタビュー自体がやってないですね。
名古屋
あ、そうなんですね。
伏原さん
僕が、インタビュー自体があんまり好きじゃないっていうのがあって、インタビューで構成されている作品とかもあるんですけども、どうしても説明的な感じになるので、自分はもう少し自然に入ってくることの方が良くて。「情報」が入ってくるっていうよりも、なんとなく「雰囲気」が入ってくるっていう感じにしたいという。
そうですよね。映画の中でもほとんど説明はなく、映像から感じる空気と、その中で何回も「風が吹けば」のナレーションが繰り返されることで、より雰囲気が見てる人の体に染み込んでいくみたいな。段々とこの世界にはまっていくみたいな。【時をためる】っていうのが言葉で出ていますけどそれを感じられる作品だと思いました。
伏原さん
多分、自分自体が、完成した時点で「これだ」っていうのがそんなにないんですよね。どちらかというと「観た人考えてください」っていうぐらいな感じで。まあいいじゃないですかこういう人たちで、っていう感じで。「こうしましょうよ」とか「これからの日本をこうしていきましょう」とか、そういうこと、そもそも言いたくないし。結局その辺もわからない部分も多いので、ちょっと乱暴に余韻とかそんな感じで、歌でいうと「んふー」とか「あはあー」とかそういうのがあるじゃないですか(笑)
ロクディム
(笑)
伏原さん
そういう部分を映像で表現しているのはちょっとあるかなって。
それわかるな〜。
伏原さん
普段の報道の仕事が正にそれで「こういうことがあってこういうことがあって、だからこうしましょう」という感じのこと、どれだけ情報が入ってるかが勝負なんですけど、そうじゃないものってあるし、そうじゃない方がわかるってことがあるじゃないですか。
言葉で説明できない部分が多いですものね。
伏原さん
だから、子どもの童話みたいなものの方が、いろんな大切なことがわかったりとか。そういうものを作りたいなっていうのはあります。だから演劇を見に行っても、歌でもライブでも、なんとなく「雰囲気」で「大切なものがわかってくる」という感じがありますね。
空気ですよね。
伏原さん
自分は特にそういう、なんというか「横着な見方」をするので。「セリフがこうだよね」とか「あの映画のあのワンカットとかこうだよねとか」と緻密に見ていくことで感じる人もいるんですけど、自分はどちらかというと全体のモワッとした感じのほうで感じるというか(笑)まあ、作る側として、緻密に考えながらっていうのは皆あるんですけど。
報道の側をされながら、逆の側もという、両方やっているということですよね。バランスすごいですね。
伏原さん
普段の仕事なんかは「情報を盛る」っていうかサービス満点みたいな感じでやるんです。演出過多ですよね。映像でも語るし、ナレーションでも語るし、テロップ流して。それはそれで否定はしないし、そういう手法だと思うんですけど、なるべくそういうのを排除する「良さ」ってあるじゃないですか。「人生フルーツ」の方は、なるべくそういうのをギリギリまで排除しようとはしてますね。相手に委ねるし、考えてもらおうと思って、そんな感じに。
お墓の前で泣いて歌うシーンがあるじゃないですか。あれとか、もう、強烈な何かを感じるんですけど、でも「このシーンはこうだ」っていうのは好きに感じなさいっていうのがあって。これどう受け止めていいのか、それがまた面白かったんです。あとでこう何度でも噛みしめられるような。
伏原さん
自分も、観た人に「ああいう意味ですよね」って言われると、そういう意味にしておこうっていうことはよくありますね(笑)
ロクディム
(笑)
伏原さん
でもそうすると、自分で作ったのが「これくらい」だとすると、観た人にいろいろ感想を聞いたりすると「膨らむ」んですよね。だからそれは、すごいなってそれって、面白いなって思いました。
バランスだ。
伏原さん
自分としては、どっちつかずの時はあるな、というのはあるんですけど、なんて言うんだろうな、そうですね、そういう意味では、いつも「塩梅」みたいなのは考えます。
わかるな〜。芝居もそうですけども、空気感というか、ロクディムも「この瞬間を一緒に笑おう」というのをスローガンにしてて、「一緒に笑う」ということが大事なことで。誰かが笑ったとか、ごく一部の人と僕らが笑ったというんじゃなくて「一緒に笑う」その時は、「境目がない」っていう、言葉にしたらそんな感じなんですけど。でもこれって、いくら言葉にしても、実際そこにいて体感しない限りは「この瞬間を一緒に笑おう」って言われても、「はいはい」みたいな感じになることがあって。すごくジレンマではあるんです。言葉とか写真とか動画でもなかなか伝わり辛い。実際に会場に来てもらって、ライブで体感してもらう。そのために、あーだこーだと、何としても伝えたいという気持ちでやるのですが、この「塩梅」というか。時には言葉過多だし…。

伏原さん
そうですよね。よくコンテンツって言われるんですけど、手軽にいろんなものが、エンタテインメントなんか特に観ることができるじゃないですか。DVDもそうですし。テレビなんかでいうと、ほとんどスマホでも見れるし、映画ですらそうなんですけど。でも、舞台はやっぱり舞台を見に行かないと良さがわからないっていう、それってやっぱり大切だなって自分も思っていて。
片や、やっぱり見る側としては、手軽に見ることができた方がいいものもあるし、仕事としてはそういう色んなところに広がっていくっていう良さがあると思うんですけど。ただ、やっぱり同じ空間にわざわざ行って、もちろん演者と客席というのもあるし、客の横同士っていうのもあるじゃないですか。で、みんなでひとつのものを見てワイワイガヤガヤするっていうのは、本当にいい体験なので、それがどんな規模であろうとも、かっこいいこと言うと「世界平和」につながっていくことで、それはいいなって思います。
僕はたまたま、ジョージさんが出るって言っているの聞いて、ジョージさんそんなこともやるの?って思って。それで観に行って凄く良くて。大人になるにつれて、そういう感覚って鈍っていくので、ホントに子どもの頃とか10代の頃なんかは、たまたま聞いたラジオから流れる音楽がすごく良くて一生残っちゃうみたいな部分があるんですけど。なかなか今、そういうのがないので。たまたま行ったものがすごく良くて、それをまた人におすすめしてっていう、そういうことはちゃんとやっていきたいなって思いますし、そういうことを感じます。

─続きます─

© ロクディム:6-dim+|即興芝居×即興コメディ|この瞬間を一緒に笑おう