- あっこさん
- ロクディム6人、仲いいですよね。
- 篤史
- いいですね。
- ヒロシ
- 仲いいと思います。
- あっこさん
- 私が大好きになった「カクスコ」っていうお芝居の人たちがいて。
- 篤史
- おお。
- あっこさん
- 前、言いましたよね?あれ、言ってないか?「カクスコ」っていう劇団があったんですよ。今も活躍されている中村育二さんとか6人で作った男性だけのお芝居。
- 篤史
- はい。
- あっこさん
- で、一人がやめたら、カクスコは解散するっていうので始めたんですよ。
- 篤史
- あ、そうなんですか。
- あっこさん
- そしたら一人が、九州に帰るって。絶頂期ですよ。シアタートップスで毎日満席になるような劇団だったんですけど。絶頂期に一人が田舎に帰る。その理由は、娘のため。娘を東京で育てたくない。
- 篤史
- はあ〜。
- ヒロシ
- なるほど
- あっこさん
- そういうことで辞めると。
- ヒロシ
- すごいなあ。
- あっこさん
- 本っ当に素敵な劇団だったんですね。で、やってたことは、古いアパートに6人が暮らしているっていう設定だったんです。もうボロボロの裸電球だけしかついていないような木造建ての昔ながらのアパート。
- ヒロシ
- 何とか荘、みたいな。
- あっこさん
- そうそう。その中で起きる人間ドラマをやってたんですね。ダンスはなかったですけど歌があって。その人たちを思い出すんですよ。ロクディム見てるとね。それぞれが個性があって、いや、本当かどうか分からないけど、みんなが仲良くて。
劇団カクスコ
劇団カクスコは、かつて存在した日本の演劇ユニットである。
メンバー:中村育二(主宰) 岸博之 井之上隆志 山崎直樹 近藤京三 原田修一
「劇団GAYA」所属メンバーにより、劇団GAYA解散後の1987年に結成され、主に新宿THEATER/TOPS、紀伊國屋ホール、大阪近鉄アート館などで年約2回のペースで公演を行っていた。後期にはTHEATER/TOPSでの新作公演期間は1ヶ月を超え、1998年に第33回紀伊國屋演劇賞を受賞。NHK BS-2や日本テレビ「劇場中継」などで公演が放送されるなど、一定のファン層と評価を得ていたが、2002年1月20日をもって解散した。
(Wikipediaより抜粋)
- 篤史
- 本当です本当です(笑)
- あっこさん
- 本当かどうか分からないですよ、それは、外からじゃ(笑)
- ヒロシ
- いやいやいや(笑)
- あっこさん
- これから考え方も違えど、やってる間はやっぱり誠心誠意ぶつかってやるべき。
- ヒロシ
- そうですね。
- あっこさん
- お互いが尊重し合えれば、やっていけるとは思うんですよね。
- ヒロシ
- 僕にとってすごく面白いのが、さっき少し話に出たように外部の人に関わってもらったことで扉が開くようなことがあって、少しずつですけど、即興のやり方っていうか次のアプローチが見えてくるんです。
- あっこさん
- うんうんうんうん。
- ヒロシ
- つまり、少しずつですが進化している感じがあって。それは、ロクディムの中だけの進化でもあるし、でも一方で、社会のモノとどこか繋がってるような感じがして。勝手に。
- あっこさん
- うんうん。
- ヒロシ
- そうやって連動していく中で、僕たちロクディムは即興をしているし、あわよくば、社会に対して「これってこうじゃない?」って言える「きっかけ」があるかもしれない。そういうものになっていったらいいなと、今、成長している段階だなあ、と思います。そういう意味で言うとロクディムは「ザ・ニュースペーパー」さんみたいに
- あっこさん
- はい、知ってますよ。
- ヒロシ
- 直接的にはやらない、やれないですけど。
- あっこさん
- うんうんうん。
- ヒロシ
- ロクディムの活動を続けていく中で、見てくれたり関わってくれた人が、そうかロクディムがやっていることってコメディだし面白いし楽しい時間を過ごした中でも「これ」なんだね、みたいな。
- あっこさん
- うんうんうん。
- ヒロシ
- というところが伝わるといいなと思って、こういうコンテンツを作って、パフォーマンスでは言わないことも言っていこうと、アプローチをしよう、ということで動いています。
- あっこさん
- うんうんうん。
- ヒロシ
- いろんな機会をもらって、成長しつつも失敗もしつつも、いろんな人との出会いをひとつひとつ次に繋げられたらいいな、と思っているっていう感じですね。
- あっこさん
- すごく大切なことだと思います。例えば、イッセー尾形さん。
- ヒロシ
- はい。
- あっこさん
- イッセーさんのお仕事、私、ついてたんですよ。
- ヒロシ
- あ、そうなんですね。
- あっこさん
- 先輩がされていて、何回もお手伝いで入らせてもらったことがあるんですけど、やっぱり、彼の作品を生で見ると、直接的ではないんですけどものすごく風刺してるんですよね。例えばサラリーマンの風景。そのサラリーマンっていう人種が、どう思って生きているかっていうことがそこにはあるわけですよ。そこには社会の背景があって、何であそこまでへんてこりんに酔っぱらうの?って。風刺ですよね。そういうことをする団体が、今、すごく少ないじゃないですか。だから今、カタヨセくんが言ったように、直接的ではないけれども「こういうベースがあって僕らはいるんだ」っていうことを、ちゃんと6人の中で共有できれば、何かしらの形は作れるとは思います。私もそういう人たちと一緒にものを作りたいって思っている人間なので、また違う形が生まれるかもしれない。
- ヒロシ
- 風刺といえば、イギリスで、即興で芝居をやるのが法律的にダメだよっていう時代があったらしいんです。
- あっこさん
- へえ〜。
- ヒロシ
- 脚本のあるものでないと上演できない。つまり、お上に、事前にこういうことをやりますって言わなきゃいけない時代があったんですって。ある意味、検閲のようなものがあって、即興でやることは反社会的行為だったと。
- あっこさん
- うんうん。
- ヒロシ
- だから、今、日本で即興の芝居が当たり前にできるっていうのは、幸運なこととも言えるんです。
- あっこさん
- そうだね
- ヒロシ
- 時代が変わったら「何やってるんだ!」ってなる。
- あっこさん
- そういうことですよね。
- ヒロシ
- 自由な創造表現なんてダメで、今の世や政治家を茶化すなんてありえないよ、ってなる可能性もないわけじゃないので。
- あっこさん
- うん。
- ヒロシ
- そんな中、今、当たり前にやっているこの即興という表現方法が、いつまでできるんだろう?っていうことでもあるので。それが「ダメだよ」っていう未来にはしたくないですね。
- あっこさん
- したくないですよ、もちろん。私の父は、昭和四年生まれなんですね。終戦の頃は十五歳ぐらいだったんです。
- 篤史
- ああ。
- あっこさん
- っていうことは、その頃のことをちゃんとわかってる。
- ヒロシ
- はい。
- あっこさん
- 東京の蒲田でおじいちゃんとおばあちゃんが書店をやってたんですよ。東京大空襲の日、柔道着を着て、布団に水をかけて担いで逃げたそうです。
- 篤史
- ほお〜、なるほど。
- ヒロシ
- すごい。
- あっこさん
- それで、品川から屋根にも人が乗ってるような満員の電車に乗って関西に帰って、元々おじいちゃんとおばちゃんが京都の人でそれで帰って。そんな父から「お前のやってる仕事は社会が悪くなったらすぐに潰される仕事だぞ」って言われたんです。
- ヒロシ
- はあ…。
- あっこさん
- 本当に言われました。「へえ〜」って思った。父は戦時中の話とかGHQが来た時の話とかも全部してくれて。だから、私は他の人よりもそういうことにすごく敏感だと思うんです。だからその言葉は未だにやっぱり心の中に残っていて。今まさに共謀罪とかの話が出てきている中で「ああ、来た」と思ってはいます。すごく。だから「簡単だぞ」って。「その時が来たら簡単だぞ」って。言われている。でもね、そういうことをちゃんとわかった上でこの舞台に生きているかどうかっていうのは、とっても大切で。私がRCサクセションを見にいって、気持ち良くなったように、何でも言える場所だから私はここに来たんだと思う。
- ヒロシ
- うんうんうん。
- あっこさん
- だからやっぱり、ちゃんと言っていかなきゃいけないなとは思っている。まあ、少しずつ、、、。滲み出るっていうんですかね。
- ヒロシ
- そうですね。滲み出るは正にそうですね。そうだと思います。その方がいいですね、きっと。
- あっこさん
- うん。だから、若い子達に言ってるのは、全部知ることなんて不可能だけど、今起きていることが何であるかぐらいは「知っておく」こと。知ること。行動を起こすとか、デモに行くとか、ネットで何か拡散するっていう、そんなことじゃなくて。ただ自分が知っておくことで、十分。それが一番大切だと思って。
- ヒロシ
- そうですね。なんか、下手したら「行動しろ」みたいなことになっちゃうと、いわゆる「それ」になっちゃうじゃないですか。
- あっこさん
- そうなんですよ。でも「それ」じゃないんですよ。
- ヒロシ
- ねえ。知っておく、っていうのは、さっきの照明の話かもしれませんけど、アンテナがどれだけ広いかみたいな。
- あっこさん
- そう。
- ヒロシ
- 自分はこう思う、そして、色んな状況がこうある、っていうのを受け止められる。そこが重要なんですよね。
- あっこさん
- うん。で、知っておく。その人がもっと知りたいと思ったら、行動を起こすかもしれないし、そうじゃなくてもっと知りたいために勉強する。どっちでも振れるわけじゃないですか。そこが大切なわけで。でも、知らないことは絶対駄目。もう、本当にそれだけは卑怯だと思う。
- ヒロシ
- 卑怯ですか?
- 篤史
- ああ(笑)
- あっこさん
- 卑怯です。だって社会と隔絶して、社会の一員として生きようとしてないってことじゃん、それって。
- ヒロシ
- 俺、知らないよ、ってことですもんね。
- あっこさん
- うん。それだけは、もうなんか「ああ…」って思う。そこだけは腹立っちゃうかな。知ろうとしてないこと。
- ヒロシ
- 知ろうとすることってとても大切ですよね。昨年末から今年の初めにかけて、ロクディムが2011年〜2016年に福島でおこなった活動をまとめようとお世話になった方へインタビューしに行ったんです。それで、この対談コンテンツの2回目にお話しさせていただいた「小松理虔」くんに会いに行ったんです。その中で、彼がやっている「いわき海洋調べ隊うみラボ」の話しを聞いて、これは市民有志による海洋調査チームなんですが、いろいろな方が有志で関わっていらっしゃって。福島の海を楽しく面白く調べて発信するというもので、福島県いわき市の港町である小名浜では、東京電力福島第一原子力発電所の事故で漁業ができない状態が続いているんです。そこで、自分たちで魚を釣る「うみラボ」、それを自分たちで調べるという「調べラボ」という、いわゆる草の根活動をしているんです。
- あっこさん
- おお。
いわき海洋調べ隊「うみラボ」
いわき海洋調べ隊うみラボは、市民有志による海洋調査チームです。水族館「アクアマリンふくしま」をはじめ様々な方々の協力のもと、福島の海を楽しく、そして面白く調べ、発信しています。大きなできごとがあって、いわきのおいしいものや美しい自然や傷ついてしまいました。でもみんなで頑張って、おいしさも楽しさもずいぶん戻ってきました。最後に残ったのが「海」です。めちゃくちゃおいしいカツオを、サンマを、メヒカリを、ヤナギガレイを、アンコウを、ドンコを思い切り胸をはって日本中に見せびらかすために、私たちはもうちょっとだけ、いわきの海のことをきちんと知らないといけません。だから、まずは「そこ」に行ってみよう、自分の目で見てみようと思うのです。国や県を信じるとか信じないとか、そういう話じゃありません。普通の人間が、工夫して測ったものを、何も足さず何も引かずに、ただみなさんにお見せします。しかめっ面してやりたくはありません。だからみんなで楽しみながら、DIYします![うみラボ公式サイトより抜粋]
(詳しくは「いわき海洋調べ隊「うみラボ」公式サイト」にて)
- ヒロシ
- それを小名浜にある水族館「アクアマリンふくしま」、ここは東日本大震災で津波の被害を受け、その後復活するというとてもシンボリックな水族館なんですが、そこの方とも一緒になって、魚の年齢がわかる「耳石」という器官を採取して、原発事故前の魚なのか、事故後に生まれたのかとか、放射性物質が検出されるのか?されないのか?それらがどのように推移しているか、などを継続的にモニタリングし情報を発信していくということをやっているんです。
- あっこさん
- うん。
- ヒロシ
- 彼は元々はテレビマンなんですが、情報の発信の仕方をすごく気をつけているということを言っていて、メリットもあればデメリットもあるというか、功罪というか。
- あっこさん
- あ〜あ。でしょうねぇ。
- ヒロシ
- そう。で、彼が、情報発信する中で、ポジティブな動機を動かしていくような記事を書きたいというようなことを言っていたのがとても印象に残っているんです。
- 篤史
- うんうん。
- ヒロシ
- 人ってやっぱり感情があるから、その感情を煽ったりするような表現もあるわけじゃないですか?ポピュリズムとか言われますけど。それが結果的に憎悪みたいなものを煽ってしまうととても残念だし。そうではなくて、人間の感情というものを、憎しみとか憎悪とかのほうじゃなくて、楽しいとか、美味しいっていう方向に向けさせられたら、ポジティブで楽しいし、いろんな人達と関わって、人生が楽しくなりましたっていうのが一番幸せだと思っている、って言ってて。そうだよなあって。
- あっこさん
- うん。
- ヒロシ
- その話しを聞いて、情報を発信する側もそうですけど、受け取る側も、きちんとっていうと変ですけど、気をつけて受け取らなきゃいけないな、って思ったんです。
- あっこさん
- 難しい。
- ヒロシ
- そう。
- あっこさん
- そうなんですよ。
- ヒロシ
- 「これ」を言っている「その人」が、どういうふうに思って言ってるのか?とか。それはもちろん人それぞれだし、立場によって違うんだけど。例えば、福島の農業や漁業の放射性物質のモニタリングはとても厳しい基準でやっていて、科学的データを持ちつつやっている。また、一方で、人間としての感情もある。それらを、どのレベルで判断なり提案をするか?っていう。
- あっこさん
- それほんと難しいことだよね。
- ヒロシ
- そう。ここでちょっと照明の話に戻るんですけど、だから、さっきおっしゃっていた、LEDやムービングを使った舞台をやりたくないっていうことは、僕はすごく「あ、そっかあ!」と腑に落ちたんですね。つまり扇動とかコントロールはしない照明なんだなぁという、印象を受けた。
- あっこさん
- うんうんうん。
- ヒロシ
- もっとその「寄り添う」というか、見る人のものをちゃんと「引き出す」ということなんだなあって。良かったあと思って(笑)
- あっこさん
- 今日話すまで、ロクディムが、どういう思想でね、主義でやってるかっていうことは正直知らなかったです。
- ヒロシ
- そうですよね(笑)
- 篤史
- そうですね(笑)
- あっこさん
- ええ。全く知りませんでした(笑)ただ、「気」というのは感じるので、皆さんから発するエネルギーが私にはマイナスではなかった。っていうことで、今日も会ってるわけですよね。で、さらに今日お話した中で、ちゃんと社会のことも、今起きていることも、感じようとしている方たちなんだということが分かって、とても安心したし、これからもお付き合いしたいなと思っています。私自身、これからどういう風に生きるかっていうことを「模索する」ってことが大事で。そのために私は何をもって、私の場合は照明という職業をもってするってことなんですけど、何を発信していくか。すごく大切だなって。
- ヒロシ
- うん。
- あっこさん
- たかが照明家なんですけどね(笑)
- ヒロシ・篤史
- (笑)
─続きます─