ライブ収録の話と僕が即興から学んだこと

先週は怒涛の1週間だった。

この2週間から3週間はずっとライブのことを考え続けていたと思う。

ライブの内容だけじゃなく、今ライブをやることについて。

自分たちのやりたいこと。

大切にしたいこと。

表現を届けること。

文化やエンターテイメントのこと。

応援してくれる人たちやその人たちを大切に思う人のこと。

日本という国のこと。

未来のこと。

気持ち悪くなるくらい考えて、結果、僕たちはライブ収録という選択をした。

詳しくはこちらの動画でお話しした通りです。

予定をあけて、お金を払って、楽しみにしてくれていた人たちの気持ちに応えられなかったこと。

そこには申し訳ない気持ちと、自分の手に負えない現実に対する悔しさがある。

それが正直な気持ちです。

「ライブ収録に切り替えるということ」=企画が変わるということだ。

自分たちが決断してからの3日間。

限界を超えても追いつかない。

そんな感覚の3日間を過ごした。

収録、当日はこれまでと違うものに挑んだ1日に。

うまくいかないこともたくさんあった。

できてないことだらけかもしれない。

実際に予定していた時間は超えてしまった。

限られた時間の中で自分たちが今できることは全て出し切ったように思う。

出し切ってる感

僕はあの原宿クロコダイルのステージで、「即興」という表現からたくさんのことを学んだ。

未知にチャレンジすること。

失敗を恐れないこと。

仲間と楽しむこと。

相手を尊重すること。

自分の気持ちに正直でいること。

未知に一歩踏み出した時はいつも自分の知らない世界が待っていた。

僕はその経験から可能性について学んだ。

自分の知っている想定内の発想からは見えない世界がそこにあることを知った。

一歩踏み出した先で時々失敗もした。

うまくいかないこともあった。

だけどそこには自分の真の姿を見ることができた。

格好悪くて、情けない、不器用な自分。

見たくない自分。

そんな自分を見るには慣れが必要だったけど、

慣れたら自分の本質や魅力、持ち味が見えてくるような不思議な実感があった。

それは「自分」という人間を生きる実感になり、

そこには生きる嬉しさがあることを知った。

そんな自分を隠すことなく外に出してみたらなんと喜んでくれる人がいた。

拍手をしてくれる人や応援してくれる人がいることを知った。

自分は、自分が思うほど有能でも賢くもない。

でも、そんな自分を隠さず、偽らずに、自分に正直に勇気を持って一歩踏み出すと、

世界は広がっていくし、その先で待っていてくれる人がいた。

その経験は自分にとって大きなものになった。

そして、そこで出会う人たちと楽しむということも大切だった。

未知の先に進むと、自分を守ろうとする自分が出てくることも知った。

安定を守るため。

「これまで通り」を押し付ける自分がいた。

そんな時こそ、仲間と楽しむことが助けになった。

楽しむことから遊びが生まれて、

自分を縛りつけようとする「正しさ」や「正解」から自分を解放してもらえた。

仲間と楽しむことを知ると、仲間が楽しんでいないことも見えるようになる。

自分だけが楽しくなっていると、ある時仲間は楽しめていないことを知るときがある。

気づいていなかった自分にハッとして、

相手を尊重することを学ぶ必要に気づく。

それは自分勝手で独りよがりな自分にとって特に難しいことでもあった。

どんなふうに人と関われば良いのか。

多分僕はロクディムたちと関わることで学んでいった。

聞くこと。

伝えること。

相手の正直な気持ち。

自分の正直な気持ち。

何度も何度も話し、関わり、関わり続けることで学んでいった。

相手を尊重することは、自分を尊重することでもある。

その理由はうまくまだ言葉にできないけど、

僕が原宿クロコダイルという場所でロクディムや他の仲間達と

即興という表現から学んできたのはそういうことだ。

この嘘みたいな数日間を終えて、

思い出したのはそんなアレコレだった。

僕にとっての原宿クロコダイルはそういう場所だ。

今日はここまで。