これはとある夏の日の、とある父親の記録である。
その日。事件は上野にある国立科学博物館の入り口で起きた。
奥さんと小学4年のお兄ちゃんと4歳の弟とで電車で移動してやってきた久しぶりの遠出。
道中では予想通りの一悶着、二悶着はあったがここには書ききれないのでまた別の機会にする。とにかく無事に到着しこれから楽しく見学しようという時だった。
事前に入館予約をして来館の上、検温を済ませ入場券を購入しいざ中へという時にお兄ちゃんが一言。
「あれ、(弟の)リュックないけど・・」
「あれ、リュックない?・・ん、どした、さっきまであったじゃん。」
「お父さん持ってたじゃん。」と4歳。
誰のせい?誰の落ち度?というような嫌な沈黙が5秒続く。
「ちゃんと持っててねって言ったよね?どこで失くしたの!」というやや強めに言葉が出そうな瞬間にハッと気づく。
「あ、電車の網棚に?!」
優先席に座らせて上の網棚に乗っけたのは自分。そしてその存在を完全に忘れていたのも自分だった。このままでは完全に自分のせいになってしまう(いや完全に明確に自分のせいなんだけどね。)
しかし、老獪な大人のテクニックで自分の非を和らげる言い回しでみんなから責められるのを回避する。
「そうか、忘れちゃったのは仕方ないね。今度は自分の大事なものは注意して見ていようね。」
さて、どうする?ここからが大事だ。
「まあ仕方ないね、忘れ物の届け出で後から出てくると思うから取り敢えず中に入ろうか?」と吞気に言いいかけた瞬間、被せるように奥さんが言う。
「すぐに駅に電話して。」
「いや、、駅に電話してもそんな今すぐには出てこないしさ・・」
「ウルトラマンのリュックの中にカーズの水筒と仮面ライダーのカード入ってる。」と4歳。
「中に入ろうよ~!」小4。
「・・・・。」入り口に立っている案内係さん。
これは大事な局面だ。父親の威厳とか威信とか進退にかかわる事態だ。この先の選択は間違えちゃいけないやつだ。
即興パフォーマンスでは厄介な事態はウェルカムだ。しかし日常生活では平に穏便にすませようとする自分がまっしぐらに顔を出す。
しかしだ。しかし既に答えは出ている。いや出ちゃっている。しかも原因は自分にある。
「ブーブー。また駅までこの炎天下の中俺が一人戻るの?ブーブー。きっと行ってもブー。すぐにはブー。見つからないよブー。」と自分の中に溢れ出るブーたれるおじさんをなんとか抑え込み
「そうだよね、じゃあ一旦駅に戻ってみるわ!」と肯定するいいねおじさんで展開する選択をする。
いずれにしても調べても駅への直接の連絡先は載っていなかったので一人駅に向かうことにする。
博物館の再入場券を発行してもらい後から合流することになり家族と別れる。固い決意と覚悟を持って再び駅に向かう父親の背中にかなり温度差がある「じゃあ、後でね~」という軽い言葉が投げかけられる。振り返るともうそこに皆の姿はなかった。
足早に向かってきた博物館からまた足早に駅に向かう自分。紫外線容赦ない。汗が止まらない。
上野駅に戻り、改札横の窓口の駅員さんにその旨を伝え調べてもらう。「まだそんなに時間が経ってないから届け出はないですね。なにか連絡あればこちらの窓口に電話いただければ確認とれます。」
と拾得物のお問い合わせ連絡先を教えてもらう。
そうだよな。そうなんだよな。そんなすぐにな・・。以上、終了か。
しかしその時ふと漫画「スラムダンク」の安西先生のセリフが浮かぶ。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ・・?」
そうだ、何のために駅までわざわざブーブー抑えて戻ってきたのか?ただのポーズ、一応それなりの動きはしましたよと示す家族へのパフォーマンスか?息子の大事なリュックと水筒、仮面ライダーのカード(そもそも持ってこないでね)を取り戻すために出来ることをやり尽くしたのか?ギリギリの限界をゴン攻めしたのか?
半ばよくわからない逆ギレ感と使命感ともはやムキになって入ったやる気スイッチをオンにして考える。「そうか!JR山手線で来たから可能性は十分にある。」
山手線は首都圏を走る環状線だ。内回りと外回りを3分くらいの間隔で複数の電車がぐるぐる回っている線だ。つまり回転ずしで例えるならば一度逃したウニをもう一度ゲットできるチャンスがあるってことだ。
さっそく駅の入場券を買い先程下車したホームに向かう。いや、向かおうとする。
ヘイヘイヘーイ、はて・・どこで降りて改札まで来たっけ?
恐ろしく記憶があいまいだ。ん?どこで降りてどこを歩いてこの出口まで来たっけ?
片道キップ分しか記憶がない。思い出せ。思い出すんだ。何があった?何を見た?その時の感情は?頭の中で動きを何度も振り返る。そう、そうだ確かホームからエレベータに乗って少し長い通路を歩いて、んで左に曲がって・・公園口まで来たんだ・・。
汗がにじむ。脳内の汗もにじむ。
ウロウロと駅構内を迷い間違えつつ降りたホームまで辿り着く。
第一段階クリアだ。
次に乗ってきた車両の停車位置を確認する。恐らくだが位置的には5番目か6番目の車両だ。そして停車位置としては優先席で向かいに車椅子のスペースがある車両だから5か6の最後尾の場所と見当をつける。
よし、場所はほぼ特定できた。あとはタイミングだ。
山手線は3分ごとに運行している。自分が乗ってきたお皿・・いや車両がどれか推測する。山手線の一周に係る時間を検索して調べる。乗ってきたのが上野到着11時50分か53分の山手線外回りの電車・・ということは一周して戻ってくるのは約62分~69分後ということで考えると・・・つまり12時52分から13時10分の間に来る電車が極めてウニが・・・いや、リュックが乗っている可能性が極めて高い。
時計を見る。あと15分ある。シュミレーションしよう。
山手線が来る→定位置で待つ→電車が止まる→ドアが開く→右を向いて網棚を確認する→5番車両になければ6番までダッシュして同様の確認をする。
という一連の動きを事前に何度か繰り返す。
これからのパフォーマンスをイメージ&練習する姿はまるでアスリート・・・いや、外から見たらもはやテロリスト。完璧な不審者がそこにはいた。鉄道警察がいたら絶対に職質されるパターンのやつだ。山手線が到着するたびに不審な動き、ダッシュを見せる男。停車時間を考えると7番車両まで確認にイケる。もしかしたら記録を8番まで伸ばせるかもしれない。と違うモチベーションと共に気持ちが上がるのを感じながらその時を待つ。
そしてついにその時はきた。
12時53分。
さながらアスリートの如く身構えて待つ。
5番車両が停車する位置に陣取る。ポールポジションは誰にも渡さない。ある意味殺気を抱えながら位置につく。
電車が停まる。
「よーいドン」
あああああああったよ!!
いいいいいいいきなりあったよ!!
一発必中じゃあああん!!!!!
天才かよ?
最高かよ?
変態かよ?
なんでもいい、とにかくあらゆる賛辞の言葉を自分自身にかける。
スケボーの解説なら「ビタビタ決めてきましたね~ゴン攻めでマジビタビタ決まりましたねぇ!」って言われるやつだ。
ヒーローインタビューが始まる。
「今の気持は?」
「最高でっしゅ!」
「今の気持を誰に伝えたいですか?」
「今回は自分!そして自分!!次に家族!」
「そして日本の治安のよさと電車の運行ダイヤの正確さに深く感謝します!」
スタンディングスタンディングオベーションマイセルフな歓喜の時間を過ごし博物館に戻ることにする。
冷静に振り返れば電車の中の乗客からの見え方としては停車中に突然マスクに帽子の中年男性が車両に入ってきたやいなや網棚からリュックをつかんですぐに下車して立ち去るという完全なる置き引き犯ではある。
しかし、この短い時間で一連の事情を説明する時間とわからせる表現力は自分にはなかった。ある意味無我夢中だったから。これからの課題だ。
意気揚々とまさに巨大マグロを釣り上げての帰還の如くマスクの下から溢れ出るドヤ顔と高笑いを携えて博物館に戻る。
再入場券を提示して中に。
と、なぜかすぐに入ったところに小4のお兄ちゃんが立っている。
「?ん?どした?なんでここにいる?・・お母さんたちは?」
「中ではぐれたらここで待ってなさいって言われた。」
「だからここにいるの?」
「うん。」
流石だ。毎回もれなく行方不明になる記録を更新し続ける男。
しばらくして皆合流する。お兄ちゃんが奥さんに叱られる。そして𠮟られる。ダメ押しで叱られる。
「リュック見つけてきたよ・・」と挟みこむがそれどころじゃない空気だ。
もはや完全にフォーカスはお兄ちゃん。どんどん自分の偉業と感動は薄まっていくのがわかる。
うん、よかった。とにかくリュックが戻ってよかった。
再びみんなで館内を歩く。
「俺、まあまあ頑張ったよな?だよな?君ならわかるはずだよな?」
と展示ガラスの中の北京原人に話しかける。
これがとある夏の日の、とある父親の記録の全てだ。