続・されば通る。誰?「LOOK BACK IN LAUGHTER」

先週から息子二人の通う保育園と学校がそれぞれ流行りのウイルスの影響で休みになった。

昨年のステイホームさながらに自宅で奥さんと交代で子供を見ることに。

そんな中、今週に入って奥さんも喉の痛みと微熱を伴い急遽病院にて検査を受け、結果が出るのに4日ほどかかるということで家族全員が自宅待機になり、奥さんは自宅内の部屋で家族とは別の空間で離れて過ごすことになった。

いよいよ我が家も流行の波に乗る、いや飲まれることになるのかとその来る時を待つことになった。

そういうわけで必然的に今週からいわゆるワンオペと呼ばれる状態になった。

先週からの休みを経て期間登園と登校が再開されたと喜んでいたのも束の間の引き続き延長された自宅での一家団欒の時間。

こんな時だからこその貴重な時間と前向きに受け入れる自分と「コレがまだ続くんですか・・マジっすか。」というやや斜め後ろ向きな自分がお互いに顔を見合わせて苦笑いする。

家族とはいえ皆それぞれ違う人格と世界を持っている人々が同じ空間でずっと一緒に過ごす。

当然に一悶着、二悶着・・それ以上の悶着が泉の如く湧き出ででくるのだ。

4歳と10歳の息子は起きるとまずはドタドタと足早にガスファンヒーターの前に集い場所を取り合う。そしてパジャマ姿のままそこに座り込み動かなくなる。いつもと変わらない朝の光景だ。

声をかける。

「着替えなよ。」

オーケー。反応はない。オーライ。いつもの調子だ。

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス by徳川家康

鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス by豊臣秀吉

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス by織田信長       

「着替えぬのなら・・」

最近は大体すぐに織田信長になる。

洗濯機を回しガスファンヒーターの前に陣取って新聞を読みながら白湯を飲む。

朝食の準備を済ませた頃に仕事を終えた洗濯機から呼ばれ、ベランダに出て洗濯物を干す。少し空と雲を眺める。

やがてそのほんの短い静かな時をかき消すように階下から聞こえてくる兄弟喧嘩の声がファンファーレのように正式に今日の始まりを告げる。

一日が動き出した。

朝食タイムに入る。

パンを出すと「ご飯がよかった。」ご飯を出すと「今日はパンの方がよかった。」といった具合になぜだか出したものと違うものの方ががよかったという声がかなりの高確率で返ってくる。

だから裏の裏を読んで・・そのまた裏の裏は?と考える・・つまりそれは表。もはやどっちでもいい。結論としては出したものを食べさせるということだ。

「あ。」

唐突に隣に座っている4歳弟が飲んでいたテーブル上の牛乳入りのコップが倒れて全部こぼれる。どうしたらこの比較的安定している形のコップを倒せるのか?なぜだ?その過程を検証実験で再現してみたいレベルで謎だ。

テーブルの上から床にボタボタとこぼれ落ちる牛乳。

「うあああ!なんでこぼすの!どうすんの?」と強く言いいそうになるのをグッと堪えて見守る。

「僕が片付けるから。」といって4歳弟が自らティッシュを数枚取って拭く。(嗚呼それじゃ全然拭きとれない・・ふきん使ってほしいんだよな・・。)

牛乳を吸いきれていないビタビタのモップ状態のティッシュが余計にそれを床に広げていく。テーブルの下にもぐりふいている時に立ち上がり頭をぶつける。泣く。更に向かいに座っていた10歳兄が牛乳ビタビタのティッシュを踏む。驚いて目玉焼き落とす・・。

即興のシーンならひとつひとつをしっかり積み上げながら出てきたことを使って展開していきながら更なる大変な状況になっていくという本当に素晴らしく完璧なコメディのシーンだ。客席からみている観客だったら「素晴らしい喜劇王だね彼は!」と絶賛するだろう。

しかしだ。結局この尻ぬぐいは誰がする・・?

いつか観た海外映画に出てきた殺し屋の仕事の後、死体を片付けその現場の証拠を消すためにきれいにする掃除人と呼ばれる人たちを思い出す。結局自分で全てフキフキしてきれいにする。

一仕事終え、コーヒーで一息つく・・間もなく早々に次なる仕事だ。

こたつでの小競り合いが始まった。

こたつから上半身を出したままふたりでどっちの足が触った、蹴ったと言い争いが始まる。

こたつは紛争地帯だ。どっちの陣地だどっちが先に手を出した、だから報復したといった具合に小国同士で終わらない負の連鎖が続いていく。そこに世界の縮図を垣間見る。

時に超大国として介入し安定を図る。一時は表面上は平静な時が訪れる。それでも見えない足元では再び火種が起き拡大していく。どうしても終わらない時はこたつから撤退させるために国際社会では禁止されている毒ガス兵器を使うしかなくなる。

「これからこたつで屁をこくよ。」と宣言すると皆撤退する。

自宅でオンラインでの仕事がある時には

「これからお父さんはPCでパチパチやるから話かけないでね。ここにいるように見えるけど実はよくできたCGだと思ってね。」と伝え、あとはウルトラマンのDVDに世界の安定を託す。

そうしてしばし落ち着いた時が訪れたと思っていると今度は「お父さん、お腹すいた。」だ。

朝食からは2時間くらいしか経っていない。仕方なくおやつを少しだけ出してやり過ごす。

昼になりこれでも食らえとばかりに大量のカルボナーラを作る。喜んで食べる。こういう時は単純にうれしい。いい時間だ。食後の一休みを取ってテレビ東京で映画が流れる時間になる。なんとなく流しながら昼寝でもと思うと衝撃の発言が出る。

「お父さん、お腹すいた。」

瞬間、忠臣蔵に出てくる松の廊下で起きた刃傷事件の浅野内匠頭の如く「さっきのカルボナーラは何だったのじゃあ!お腹のどこに消えたのだあ!胃液馬鹿?」と叫ぶ衝動をもう一人の自分が「殿中でござる、殿中でござるよ!!」と必死に抑える。

「そうか・・君たちは何にそんなに飢えているの?」とキレ気味にボソリとつぶやき、こういう時のために取ってあった山崎パンの120円位で売っている小さなアンパンとかクリームパンとか5個入っているシリーズのやつを出して強めに言い放つ。

「これおやつと一緒にするから、これ食べた後はもう夜までお腹すかないごっこで行きますから!!ヨロシク!」

ふうー。人はなぜ腹が減るのか?スマホの機内モードのように自在にオフにできないのか?

そしてまた後片付けだ。昨年のステイホームの時もそうだったが、一日中皿洗いをしている気がする。食事を作る。皿を洗う。そして再び食事を作る。皿を洗う。洗いながら思い出す。そういえば学生の頃、初めてバイトしたのは新宿のかに道楽の皿洗いだったなあと。

こたつに戻りなんとなく流れている映画を観る。

途中で男女のきわどいシーンが出てくる。

置物のように無になってその時をやり過ごす。

こたつ、子供、リビング、この要素が組み合わさると漏れなく部屋の床の上はモノが自由に陣取られたフェス状態になる。漫画、トランプのハートの8だけ一枚、鉛筆、恐竜図鑑・・。足場が無くなる前に片付けを始めようと身を屈めた瞬間右膝に激痛が走る。

「ぐあっ!」

LEGOブロックが膝に刺さっている。しかも奇跡的に一番痛いところにピンポイントで。しばらくうずくまって廃人になる。

こんな時は本当に思う。自分の膝もLEGOブロックでできていたならさぞかし気持ちよくパチンという音と共にくっつくだろうにと。しかしいかんせん生身とプラスチック、相性が悪かった。

もし自分がアスリートだとして引退会見でその理由の発言が「LEGOが膝に刺さって以来膝の痛みをだましながら走ってきましたが自分の思うプレーや走りができなくなり決断しました。」だったらマジでリアル泣きだろう。

涙をふいて片付けしながらも同時進行で散らかっていく。突然ふたりが叫ぶ。

「お父さんクモがいる~!!」「小さいじゃん、、もう!わかったよ捕まえるから!」と言いながらも、いつか地獄に落ちた時、蜘蛛の糸を垂らしてくれるかもしれないから見逃す。

やばい・・次第に抑えていたものが漏れ出してくる。織田信長が止まらなくなってくる。

「お前らもうテレビのリモコンを触るな!リモコンの電池のフタをパカパカやるな!」

「こたつの温度を最大にして放置するな!」

「漫画そのへんに置くな。特にジョジョは俺のだよ!」

「腹は夜まで減らないという設定でいけ!」

「お父さんはここにいる、でもこれからドラえもんの石ころ帽子かぶるから見えなくなるから!」

「ウルトラマンクイズ出すならもっと難しい問題出せよ!」

「さっきまで付いていたテレビのリモコンの電池のフタどこ?今日中に探し出せ!」

「お互いにもうちょっとまともな悪口言えないのか?面白くないよ!」

と訳のわからない注意とアドバイス・・もはや支離滅裂だ。

即興をやりながら「この瞬間を一緒に笑おう」などど言っている人間かと自分で目を疑うほどの人物がそこにいる。

ふうー。ふうー。自分も含め皆それぞれ反省しながら全員で片付けをして夕方のニュースを観る。そろそろ夕飯の準備の時間だ。

「ねえ、お母さんのごはん一緒に作る。」と10歳兄。

「そうか、じゃあまずはこの野菜洗って・・」とお手伝いをお願いする。

「あ、リモコンのフタあった!」という4歳弟の声がリビングから聞こえてくる。

「おお、やった!見つかったじゃん!」と振り返る。

やっとこさ自然と笑顔になる。

何日かはきっとこんな風な日が続くのだろう。

思うようにならないのは当然だ。だけどどう受け取るかは少しは変えられる。

少しずつ少しずつ・・だ。

デヴィッド・ボウイの「Look Back In Anger」という曲がある。

直訳すると「怒りを持って振り返れ」だ。

なるべくなら今は怒りを持たずに振り返りたいし、もっと言えばいつも笑いを持って振り返りたい。

「Look Back In Laughter」

そんなことを思った日だった。

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