初めてのエレキギターの温度

僕は人に任せるのが苦手だ。
基本的に何でも自分でやってしまう。

母がよく言っていた、兄と僕の違い。
おやつのお煎餅の話。

ひとつひとつ袋に入っている、個包装されたお煎餅。
兄は、自分の手で袋を開けようとしたがうまくいかず、母に開けてくれとせがんだが、母も家事か何かをしていてすぐに開けられなかったらしい。
僕は、兄と同じように手で開けられなかったので、袋ごと口に入れて、噛み締めて引っ張って、無理矢理に袋を破り、兄が母に1つ開けてもらう間に2つ3つ、ぱくぱく食べていたそうだ。

そんなタチの僕も、ロクディムを通じて、人に頼ったり任せたりお願いすることを覚えた。
覚えたと言ってもここ数年のことなので、覚えたてだ。よちよちだ。

そんな折、色々あって、エレキギターを弾きたくなった。
ウチにある楽器といえば、時折ライブで使うウクレレと、子供の頃に使っていた鍵盤ハーモニカとトライアングルとりんごの形をした小さなマラカス。

そんな僕がエレキギターだ。
ウクレレを持っているならアコースティックギターじゃない?という自分のツッコミは聞かないフリをした。

買えばいいじゃん?
安いのでいいじゃん?
とりあえず買えば?
大人でしょ?

いや、分かるよ。
でも今はその流れじゃないんだ。
いいんだ。感じるんだ。
変化の時なのだ。
きっと、この感じは間違っていない。

そして僕は【エレキギター貸してくれる方募集です】とFacebookに書き込んだ。

1時間後、2〜3年お会いしていないとある方から連絡があった。

「ぼくのエレキギターつかっておくれよ〜
眠らせっぱなしはちょっともったいないかわいいやつなのよ」

思ってもない方向から、願ってもない連絡がきた!
興奮しながら返信した!

「なんとー!!!!!! 是非是非です!!!!
永い眠りから覚めていただきましょう!」

失礼と受け取られてしまうことも厭わないユニークな返信に、自分の興奮が見て取れる。

どんなギターなのかを教えてもらう中で、めちゃくちゃユニークでレアなギターだということを知っていく自分。持ち主のギターに対する愛情をビシビシ感じる自分。
そうか、そうなのだ。
借りるとはそういうことなのだ…。
そういう「想い」のあるギターに出会わせてもらったのだ。

こんなに有難いことがあるだろうかッ!
いや、ないッ!

人に任せることが苦手だった僕は、人を信頼していなかったとも言えるだろう。
いや、ちがうよ、って言いたくなる気持ちもなくはないけど、きっとそうだ。
自分でやった方が早いし正確、クオリティも保証できるし必要な修正も自己判断でできる、そう思っていた。

でも、それでは進めないところまで来てしまった。
仲間がいるのに、勝手に自分一人で抱えていた。
自分勝手に独りで抱え込んでいた。

そんなアレやコレやに潰されそうになり、自分で自分を重たくしていたことを放り出したいと思ったんだ。

それから少しずつ、手放すことができるようになった。
そこには、自分の限界や出来なさ具合を認めるような感覚もあり抵抗もあった。
それでも、少しずつ少しずつ、楽になっていった。

そういうことをロクディムのメンバーにも分かってもらえたことで(きっと最初は戸惑ったと思うけど)、ロクディム以外の人にも分かってもらえるようになっていった。

そんなこんながあって、今回【エレキギター貸してくれる方募集です】という投稿をしたのだ。

なんとなく、そういう流れが起こったので、それに身を任せてみた、という感じもある。
それが、こんな素晴らしい偶然と再会の機会を産んでくれた。

ギターを受け取るため待ち合わせをした「H駅」で数年ぶりの再会をして、ギターを貸してもらい、軽く近況を話したところ、

「ロクディムのサイトも見てるよ。ブログ、「シッシ(宍戸)」のやつとか、今日は「名古やん」だっけ?」

と言ってくれた。
直接の再会は数年ぶりだけど、ロクディムの活動を知ってくれていることが単純に嬉しかった。

あ…。
そうだ。
思い出した。
この人は、そういう人だ。
だいぶ前にロクディムが公演をするからと公演情報をお知らせした時に

「なんだか幸せの香りみたいなのがする」

と言って、実際に見に来てくれた。
それが無性に嬉しかったのだ。


その感覚とエレキギターを左肩に乗せながら、帰りの電車に乗り込んだ。
このギターには、時間や想いや経験が静かに染みている。
僕が初めて使う・使わせてもらうエレキギターは、じんわりと温かいのだ。