あれはなんて映画だったか?てか本当にあったのか?

お葬式。
皆が集まって故人のことを語る。
しかし、語る人によって故人のキャラクターが全く違う。
その人間の多面性だったり、また相手の人間の主観(思い込みや状況)によって変わってくる故人。
自分という人間は、かかわる人によって全然違う人物像として記憶に残る。

そんな映画があったように思うのだけど、なんて映画だったのか忘れてしまった。

そう考えるとロクディムもそれぞれの「渡猛」がいるのかもしれない。
またワタリにとっての「小田篤史」はカタヨセヒロシの「小田篤史」とは全然違う人間になっているかもしれない。
だから皆の話を聞くことは面白いし、皆の皆に対する話を聞くことも面白い。

あの映画で皆が語る故人はどれも間違いじゃなく、その人に他ならない。
ほかの人の話を聞くことで故人という人間をより知ることができる。

また自分以外の視点を持つことで、その人にはっているレッテル(思い込み)から距離を取ることができると思う。

自分の視点が「答え」じゃない。正しいわけでもない。
そんな当たり前のことを再確認する会話はワタリにとって大事な時間だなぁ思う。

複数の視点を持つことで適度な距離をつくることができる。