5/25:名古屋公演@大須演芸場 へ想うこと
演芸場と人
演芸場という空間は、なんだかとても人間臭い。
賢愚・清濁・悲喜こもごもが入り交じり、人間なんてそんなもんだよ。さあ、風呂に入ろう、裸になっちまえばみんな同じ、人間ってのはそんなもんさ。
劇場やホールが「日常とは全く違う世界を体験できる非現実を楽しむ空間」だとするなら、演芸場は「日常を延長・拡大した地続きとなった超現実を楽しむ空間」と言えるかもしれない。
1文字に込めた想い
「非」と「超」どっちも好きだ。1文字つくだけで言葉の意味が変わる。
「1文字で公演タイトルを決めよう」と言ったのは名古屋で活動する名古屋淳だった。
「去年は大須ROCKと大須POPで、アルファベットだったから、シンプルに漢字で1文字にしたい」
2018年は2回の名古屋公演を行った。ちょうど去年の今頃、初夏5/26「大須ROCK」では学ランで挑み、秋9/15「大須POP」では各自のポップを表現した。
それを経ての今回、「跳 ─ハネル─」
跳ねるためには、一旦、踏み込みが必要だ。地面がしっかりしていると尚よろしい。
縮んで曲げて屈んで、そこで蓄えた力を反発させる。
空へ伸びて伸びて、届け!と跳ねる。
ただ、ぐにゃぐにゃの地面だったとしたら、跳ねるどころかズブズブと沈んでしまう。でも、沈んでもいいかもしれない。沈んだ先が、別な世界に続いているかもしれないし、そこでの出会いもあるだろう。底に辿り着いたから見える景色もきっとあるはずだ。
そうしたら、底から跳ねることができるだろう。
そんなことを妄想しながら去年の名古屋@大須演芸場の公演写真を見ている。
ロクディムの公演ってなんだろう?
観客もロクディムも、なんだかとても楽しそうだ。
ロクディムも賢愚・清濁・悲喜こもごもが入り交じる。メンバーそれぞれの日常が延長されて拡大され、そこから非日常と超日常が絡み合って露わになり、そこから笑いが生まれる。
ロクディムの笑いは喜びでも悲しみでもあり、否定であり肯定だ。
当たり前の日常は単純でありながらも複雑で、一生懸命に過ごす時間もダラダラ自堕落に過ごす時間も両方あって。時々、奇跡のようなことが起こる時もあるけど、基本的には平凡だ。あっぱれ!それでいいのだ!
賢愚・清濁・悲喜こもごもが入り交じり、人間なんてそんなもんだよ。さあ、風呂に入ろう、裸になっちまえばみんな同じ、人間ってのはそんなもんさ。
写真を見返しながらやっぱり思う。たくさんの人と「この瞬間を一緒に笑おう」を体験したい。
大須演芸場は飲食自由。お茶やジュースや牛乳は勿論、アルコールなど好きな飲み物、食べ物を持ち込みができる(飲み過ぎにはご注意を)。
笑った汗と流した涙は、お湯に流してまた明日。
綺麗さっぱり、良く寝よう。
5/26:三重・桑名公演@MuGicafe へ想うこと
2年ぶりとなるMuGicafe公演
和室2.5畳のタタミステージ。
客席とステージがこれまでにない親近感&密着感でお送りする全員集合!的な公演だ。
2年前に行った公演の写真を見て思い出すのは、その場にいる全員で一緒になって笑っていると、なんとなくそのうちに、家族感が自然にできてくることだ。
まるでお正月、久々に集まった家族や親戚、友達と一緒に座を囲み、一緒に喋って一緒に笑うような感じが、いつの間にか、できていく感じ。
一人で見に来てくれた人もいたし、家族連れの人もいたので、全員で直接話したりするわけじゃないのだけど、いつの間にか、なんとなく、そんな感じ。
子供と大人が一緒に楽しむ
MuGicafeの美味しい食べ物や飲み物を楽しみながら、誰かの言葉に耳を傾け、誰かの言うことに笑い、時に感動したりする。
子供が多い中で、時折、子供たちの声や感想やアイデアが舞台に飛び込んでくる。それを使っていくロクディム。時にその言葉たちに翻弄される姿を見て、大人達は嬉しそうに笑い、そんな風景を見て子供もキャッキャキャッキャと喜んでいる。
2.5畳という限られた舞台でありながらも、想像力を駆使して世界はどんどん広がっていく。(時にどんどん小さくなっていく)
懐かしく気持ちのいい日本家屋のMuGicafeに、子供と大人の笑い声が溢れた2年前。
ただいま。MuGicafe
今年も「ただいま」と言えることが嬉しい。
前回は、これまで家族連れで何度も来てくれていた子が大きくなり、お母さんの背を越えた姿を見せてくれた。
お母さんの過ごしてきた時間と、子供の過ごしてきた時間は違う。人生の時間が違うということは、今見ていることに対して、感じることや見えるもの(角度)が違うということだ。
そんな中で、例えばロクディムの公演という同じ時間を共有したことは、ひとつの記憶・思い出になったりするだろう。
その共有体験が、これからの彼・彼女の人生の中で、何かの時の、何かのきっかけになったらとても嬉しい。
これまで長い人生を生きてきた人間と、それより短い人生を生き始めた人間が、その場にいて、同じものを見て楽しかったねと言ったり笑ったり拍手したりする。そういう時間を共に過ごすことができるのが、MuGicafe公演の大きな魅力だ。
MuGicafeの公演は「心」の距離が近いのだ。
会場と舞台の「心の距離」が自然と近くなる、それはMuGicafeの持つ魔法だ。
その魔法は、その場にいる人たちを、なんとなく自然に、優しく、大きな家族のように抱きしめる。
舞台装置など何もない、ただの畳の部屋で、何かを見て何かを感じるのだ。
それはきっと、舞台や演劇やパフォーマンスでしか見れない、想像力と創造力の楽しさだ。